百済文化遺産企画研究

文化遺跡の学術調査、出土遺物の保存処理などの調査・研究活動により得られた成果をまとめ、テーマ別に詳しい分析研究を実施することにより専門知識を研究者同士で共有することを目的としている。



百済寺院に対する学術調査・研究

韓国で今まで調査が行われた古代寺院遺跡に関する資料を集大成し、日本および中国の古代寺院遺跡と比較研究を行い、企画報告書を発刊して今後、発掘調査および研究の基礎資料として活用するために「韓中日古代寺院跡比較研究」の事業計画を樹立した。2008年には最近話題となっている木塔址に関する企画報告書の発刊計画を樹立した。資料の収集は国内外の報告書資料を含め、現地を訪れて写真資料を確保した。これらを纏めて『韓中日古代寺院跡比較研究1-木塔址編』という企画報告書を発刊している。

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企画研究名 百済寺院に対する学術調査・研究
区分 比較研究
調査年 2008年~現在
調査資料 原文資料有り

最近、古代寺院遺跡の整備•復元(皇龍寺址、弥勒寺址、陵山里寺址など)に関する研究が行われており、研究を裏付ける遺跡の発掘調査が、高句麗・百済・新羅の古都においても活発に進められている。また、日本と中国でも最近、古代寺院遺跡に関する発掘調査とその研究が同時に行われている。

一方、扶余・王興寺址(677年)の木塔址心礎石と弥勒寺址西石塔(639年)の心礎石から舎利を安置する舎利具と供養具が一括出土し、その重要性が広く認識され、学界を含む市民一般にまで非常に注目を集めている。これらの遺物は損傷を受けずに完全な状態で出土しており、銘文によって寺院を造営した人や建立の背景に関する手がかりが得られている。国立扶余文化財研究所は今まで百済・泗沘期の弥勒寺址、龍井里寺址、王興寺址、定林寺址、軍守里寺址など寺院遺跡に対して開所以来持続的に発掘調査と研究を行ってきているが、このようにして蓄積された資料に基づき、韓国、中国、日本で発掘調査が行われた古代寺院遺跡に関する比較研究を進め、今後の発掘調査および研究の基礎資料として活用するために「韓中日古代寺院跡比較研究」事業計画を樹立した。

2008年にはまず、話題となっている木塔址に関する企画報告書の発刊計画を立てた。対象となる遺跡は韓国、中国、日本の5〜7世紀の木塔址であり、発掘調査が進み、比較的資料の保存状態の良好な場所を選んだ。つまり、韓国では平壌・慶州・扶余・益山など16ヶ所、日本は奈良・大阪京都など40ヶ所、中国は洛陽県・臨漳県の2ヶ所と、計58遺跡である。

個別木塔址に対する検討は主に基壇、平面、心礎に主眼を置き、発掘調査の過程で確認された木塔の築造技法、外装、出土遺物などについても調べてみた。資料の収集は国内外の報告書はもとより現地を訪れて写真資料を確保した。また、報告書を発刊する前に今までの調査成果を要約し、日本と中国の研究者を招聘して2009年5月には学術セミナーを開催した。そしてこれらの内容を分析・整理し、企画報告書『韓中日古代寺址比較研究1-木塔址編』 を2009年に発刊したのである。

2010年には金堂址の基壇、階段、礎石、平面に重点を置いて韓国、中国、日本で発掘された古代金堂址の資料を収集し、纏めた報告書『東アジアにおける古代寺院跡比較研究Ⅱ-金堂址編』を発刊した。

2011~2012年には、企画研究シリーズ第三巻『東アジア古代寺址比較研究Ⅲ(講堂址•僧房址•付属建物址•門址•回廊址編)』を刊行し、木塔と金堂以外の、寺院の構成要素である講堂、僧房、付属建物、門、回廊に関する内容を中心に、従来の調査成果を纏めた。また、韓中日における寺院研究の成果を共有する目的で日本、中国、韓国の研究者を招待し、2011年には国際学術セミナー「東アジアにおける古代の庭園および寺址(金堂址)に対する研究成果および課題」を、2012年には「2012百済文化企画研究(寺院•庭園•瓦)関連国際学術会議」を開催し、企画研究の方向と課題に関する討論の場を設けた。


image 皇龍寺址木塔址の全景
image 皇龍寺址心礎石の上面および四天柱
image 望徳寺址東塔址の全景
image 望徳寺址西塔址の心礎石
image 軍守里寺址金銅弥勒菩薩立像(宝物)
image 軍守里寺址蝋石製如来坐像(宝物)
image 軍守里寺址
image 帝釈寺址
image 銅製舎利器の銘文
image 王興寺址
image 定林寺址東僧房址
image 弥勒寺址東院僧房址
image 書籍

百済都城復元研究

百済・泗沘都城地域の発掘資料をデジタル化を進めることにより、文化財情報資料の管理および活動を高度化するため、国立扶余文化財研究所は百済都城遺跡地図の地理情報システム(GIS:Geographic Information System)を構築するなど、百済都城復元研究を行っている。地理情報システムは地理的に参照できるすべての情報を収集・保存・分析・表現できるようコンピューターのハードウェア、ソフトウェア、地理的資料、モデリング方法、人的資源などの総合情報システムである。政策決定者が意思決定をする上で重要な手段となるものであり、最近では考古学界において資料の記録、分析、解析、そしてモデリングのための方法として積極的に活用されている。今後、ほぼすべての文化財情報資料はGISに統合されていくことは明らかであるため、泗沘都城 地理情報システムはその先駆となるモデルという意義を持つ。

したがって、泗沘都城の遺跡、遺構のデジタル化により調査資料の総合化および遺跡の空間的分布、位置分析のための基礎資料を一般人、学界、文化財研究機関などに提供し、活用を試みている。

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企画研究名 百済都城復元研究
区分 遺跡発掘調査
調査年 2008年~現在
調査資料 原文資料無し

考古学分野においてもGISを利用した研究と資料管理に対する考え方を広めていく必要があると指摘されている。2004~2007年構築された「泗沘都城遺跡地図地理情報システム(GIS)」はその成果の一つであり、その活用が望まれている。そして持続的な百済都城地域の遺跡・遺構をデジタル化し、考古学関連情報の総合的、かつ科学的管理方法を模索していく必要がある。遺跡の空間分布、位置分析のための基礎資料を一般、学界、文化財研究機関などの関連機関に提供し、活用できるシステムが要求されているのである。

扶余・泗沘都城、益山・王宮里地域の遺跡・遺構地図をGIS用図面にデジタル化し、国家標準数値地図を利用して等高線、道路、建物の図面を作成し、地理情報システム(GIS)を基盤として運営する扶余・泗沘都城、益山・王宮里地域の百済都城遺跡地図地理情報システムを構築した。さらに、以前の百済都城遺跡地図地理情報システム以降新しく追加された扶余・泗沘都城、益山・王宮里関連遺跡および遺構のデジタル化、3次元位置情報のDB化も進めている。そして百済都城調査および研究関連資料を総合的に搭載した『百済都城遺跡地図地理情報システム』の構築により、百済都城および宮殿の空間分析資料の収集・再利用を試みている。それにより、百済都城の復元のための学際的な総合研究が可能になると考えられる。

今後、熊津都城内遺跡および遺構のデジタル化を実施し、百済都城遺跡地図地理情報システムを構築するとともに、以前構築されたもののアップデートも実施する予定である。また、従来の百済都城遺跡地図地理情報システムの性能を補完し、ウェブサービスできるサーバーを構築するための予算案を、関連機関と協議して進めていく予定である。 同研究所はこのような多方面からの研究によって百済都城関連研究の中心としての役割を果たすよう努めている。


image 初期画面
image 遺跡位置の画面
image 遺構の属性およびイメージ画面
image 遺構の属性およびイメージ画面

東アジア古代庭園に関する比較研究

A garden was found at the end of latitudinal stone embankment no.4 at the Wanggung-ri Site. During the survey of the garden that we conducted in the period 2004-2007, we identified the size and structure of the central part of the garden, a water inlet/outlet, a long exquisite stone structure made for supplying water to the garden, a “ㄱ”-shaped drainage facility (attached to the southeastern corner of the stone structure) for regulating the amount of water flowing into the garden, and a stone structure designed to control water flowing out of the garden through the water inlet. The study revealed a nature-friendly garden displaying exquisite landscaping skills, the first discovery of its kind among structures built during the Three Kingdoms Period.

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企画研究名 東アジア古代庭園に関する比較研究
区分 遺跡発掘調査
調査年 2010年~現在
調査資料 原文資料無し

益山・王宮里遺跡内の東西の築石4末端部から庭園が発見された。2004から2007年まで庭園に対する調査により、庭園の中心部の規模や構造、入水・出水の部分が確認された。さらに庭園の裏には庭園へ水を供給するために精巧に造られた長い石造施設、庭園へと流れ込む水の量を調節するために石造施設の東南の角に付けられた鉤型の排水施設、庭園の出水部から外部へ流れる水を処理するための築石施設が見つかった。これにより、百済の造園技術の真髄を示す華やかで、かつ自然に優しい庭園の実態が明らかになった。これは三国時代最古の庭園跡である。

2008年から現在まで、庭園の北側にある丘陵地域に対する調査過程では、曲水路および導水施設などが確認された。このように宮殿内部から曲水路、歩道施設、築石施設、建物址が見つかったことにより、後苑の空間活用に関する資料を確保することができたのである。そして庭園の北側にある丘陵の西の斜面に沿って、宮殿の建物に水を供給するため、様々な築造技法の導水施設が発見され、益山・王宮の後苑と繋がった精巧な水路システムを究明する上で転換点となった。中国・東晋時代に流行し、平城宮・東院庭園などに採択された曲水路が、後苑空間で中心的な要素であることが確かめられたので、古代の東アジアにおける園林の造園方法に関する比較研究が可能となった。

益山・王宮里遺跡の庭園の性格を明らかにするためには中国や日本など古代東アジアにおける庭園との比較研究が必要である。したがって、東アジア庭園に関する比較研究により、益山・王宮里遺跡の庭園をはじめとし、ひいては百済の庭園の構造と機能を究明することを目指し、国内庭園遺跡の整備・復元の基礎資料として活用するよう努めている。

調査対象の遺跡は韓国[高句麗(安鶴宮址、大城山城蓮池、定陵寺址蓮池)、百済(扶余・官北里百済遺跡蓮池、益山・王宮里遺跡庭園)、新羅(月池 または雁鴨池、国立慶州博物館敷地内の蓮池、龍江洞蓮池、九黄洞 蓮池)]、中国[夏・商・周(偃師商城遺跡苑池)、秦・漢(上林苑・昆明池、南越国宮署御苑遺跡)、魏晋南北朝(北魏洛陽宮華林院、南朝建康台城宮城華林苑)、隋・唐(西都大興城大興苑、東都洛陽城西苑、唐長安城 禁苑、洛陽城神都苑、長安城大明宮太液池、洛陽城上陽宮苑池)]、日本[飛鳥時代(上之宮遺跡、古宮遺跡、島庄遺跡、石神遺跡、郡山遺跡、飛鳥京跡苑池遺構)、奈良時代(平城宮佐紀池庭園遺構、平城京跡左京一条三坊十五/十六坪庭園遺構、平城京跡東院庭園、平城京跡左京三条二坊六坪宮跡庭園)]に絞った。

調査期間は2010年から2014年まで5年間行う予定である。 2010年度には10月3日から10月7日まで、中国・河南省西部の洛陽に位置する北魏魏陽宮華林園遺跡(A.D.493〜534)、中国・陝西省の西安に位置する唐長安城大明宮太液池遺跡(A.D.634〜663)などを訪れ、現地調査を行った。調査では中国において既に発掘調査が行われた庭園関連資料を収集し、現地調査を実施し、発掘資料および研究資料など基礎資料を収集し、国際交流協力機関の現状などについて関連資料の収集・調査研究の情報を交換し、人的交流を進めた。

究極的には、古代東アジアにおける造園技術の変遷について総合的な研究を行い、百済の造園技術の位置について再考する。また、韓国の益山・王宮里遺跡、日本の平城京、中国の長安城など古代都城または宮殿内の庭園の様相および位置を調べることにより、古代東アジアにおける都城研究資料としての利用を目指している。さらに、古代庭園遺跡の整備・復元資料として活用することを目的としている。

このような研究は今後、古代東アジアにおける造園文化の流れと変遷過程の体系的な研究に繋がることと考えられる。


Future Survey Plan
第2次-2011 -益山・王宮里遺跡における後苑の規模および構成原理を究明1(考古学的性格)
-『古代東アジアにおける庭園の比較研究Ⅰ』を発刊(テーマ:古代東アジアの庭園関連遺跡および遺物の現状に関する資料集)
-古代東アジアにおける庭園関連資料の比較分析1(中国:夏・商・周〜魏晋南北朝、日本:飛鳥時代)
-中国現地調査
:北魏平城(A.D.398~493)庭苑出土の造園石遺跡:中国・山西省・大同に所在
:魏晋南北朝の南朝建康台城宮城華林苑:中国・南京に所在
-結果
:『古代東アジアにおける庭園の比較研究Ⅰ』報告書
:中国現地調査に関する結果報告書
第3次-2012 -益山・王宮里遺跡における後苑の規模および構成原理を究明2(造園学的性格)
-古代東アジアにおける庭園の関連資料を比較分析2(中国:隋・唐、日本:奈良時代)
-古代東アジアにおける庭園関連の国際学術シンポジウムを開催(テーマ:古代東アジアにおける庭園研究の現状と課題)
-中国現地調査
:漢の上林苑昆明池:中国・陝西城・西安に所在
:南越国宮署御苑遺跡(B.C.203~111):中国・広州に所在
:隋の西都大興城大興苑:中国・陝西城・西安に所在
-結果
:国際学術シンポジウム、資料集
:中国現地調査に関する結果報告書
第4次-2013 -益山・王宮における後苑の意味を究明(学際的研究)
:王宮里遺跡における庭園および後苑の仮想復元案を導出
-古代東アジアにおける庭園関連資料の比較分析2(中国:隋・唐、日本:奈良時代)
-日本現地調査
:飛鳥時代(上之宮遺跡、古宮遺跡、島庄遺跡、石神遺跡、郡山遺跡、飛鳥京跡苑池遺構)
-結果
:『王宮里遺跡の庭園および後苑の仮想復元案』結果報告書
:日本現地調査に関する結果報告書
第5次-2013 -古代東アジアにおける庭園関連資料の比較分析3(中国:唐以後、日本:奈良時代以後)
-『古代東アジアにおける庭園の比較研究Ⅱ』を発刊(テーマ:古代東アジアにおける庭園の観点から見た百済庭園の特性研究)
-日本現地調査
:奈良時代(平城宮佐紀池庭園遺構、平城京跡左京一条三坊十五/十六坪庭園遺構、平城京跡東院庭園、平城京跡左京三條二坊六坪宮跡庭園)
-結果
:『古代東アジアにおける庭園の比較研究Ⅱ』最終報告書を発刊
:日本現地調査の結果報告書

image 後苑の全景(航空撮影)
image 庭園中心部の全景
image 庭園出土の庭園石
image 九州池の全景(現在)
image 太液池整備復元の全景
image 上陽宮園池の調査の様子
image 華林園址の調査の様子
image 太液池縮小模型の全景
image 太液池整備復元の全景

百済泗沘時代の瓦研究

瓦は遺跡の発掘調査において、土器とともに最も多く出土する遺物であり、建物の築造年代や変化の様子を推定する上で重要な根拠となる資料である。したがって、当研究所では瓦に対する体系的な分析のための研究基準を設ける目的で、2009年から「百済泗沘時代の瓦研究」を行っている。

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企画研究名 百済泗沘時代の瓦研究
区分 遺跡の発掘調査
調査年 2009年~現在
調査資料 書籍資料無

2009年には泗沘時代の遺跡から出土した軒丸瓦の資料の集成、タイプ分類の基準を設けるための属性整理により、第1次タイプ分類案を作成した。2010年からはこれに基づき、個別遺跡から出土した軒丸瓦の分析を試み、軍守里寺址(2010年)、王興寺址および王興寺址東側の瓦窯址(2011年)、官北里遺跡と定林寺址(2012年)に対する精密な分析を行い、その結果を『百済泗沘時代の瓦研究』Ⅰ~Ⅳに纏めた。

今までの研究成果を見ると、個別遺跡から出土した軒丸瓦を対象に、目視による観察、計測調査などの分析結果に基づいて遺跡別の軒丸瓦のタイプを分類するための基準を設けた。また、タイプ別に製作技術関連の痕跡を分析し、製作工程の復元を試みた。そして同じ笵の瓦を分析することにより、製作の前後関係、需給関係などの様子や特徴を考察した。

このような方法により2012年までに、扶余地域における泗沘時代の主な遺跡から出土した軒丸瓦の分析を終わらせており、2013年には益山地域の主要遺跡から出土した軒丸瓦の分析を行っている。

百済廃寺址総合学術調査

百済文化圏の廃寺址の総合整備方法を樹立し、遺跡を持続的に保存・管理するよう基礎資料を提供し、地表調査および発掘調査の連携により百済の寺院研究を活性化するため、「百済廃寺址学術調査」を実施している。まず、百済の中心舞台だった公州、扶余、益山地域に対して学術調査を行う予定であり、2008年にはそれまで続けられていた扶余地域の百済廃寺址現場調査を完了し、その内容を纏めて報告書を発刊した。

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企画研究名 百済廃寺址
区分 遺跡発掘調査
調査年 2008年~現在
調査資料 原文資料有り

その最初の調査対象は扶余となった。

扶余には百済時代から朝鮮時代に至るまで数多くの寺院跡が残っているが、中でも百済時代の寺院跡が25基という最多数を占めている。これらの遺跡は日本の植民地時代に発掘または整備が行われ、部分的な試掘調査が行われたところも多いが、手付かずの状態で放置され、損傷・滅失の危機に晒されているケースも多い。国立扶余文化財研究所は扶余地域の寺院跡の問題を把握し、その解決方法を探るため、百済時代の寺院跡に対する全般的な現状調査に乗り出した。まず、現場調査および資料の検討により、扶余地域の寺院跡の現状を把握し、百済時代のものだけを選別し、それぞれの寺院跡について先行の発掘調査内容、保存・整備方法、発掘調査の必要性についてなど学術調査と遺跡の保存管理に必要な基礎的な内容を纏めて報告書を発刊した(2008)。報告書では扶余地域の百済時代の寺院跡またはそれと推定される遺跡25ヶ所について調査内容を纏めた。遺跡の所在地である扶余邑、恩山面、窺岩面の順で整理し、遺跡別に「所在地」、「時代」、「遺跡の現状」、「保存・整備方案」、「アクセスガイド」に分け、百済時代の寺院跡の過去と現在の様子、そして今後の管理方法について記述した。

さらに公州地域および益山地域所在の百済廃寺址に対する学術調査を実施する予定であり、今後百済文化圏全域の寺院遺跡に関する学術調査で資料を集大成し、現実的で、かつ体系的な方法を提示することにより、遺跡の保存・管理および百済史研究の活性化を図ることを目指す。


image 扶余郡廃寺址分布現状図

考古織物研究

考古織物研究は発掘の際に発見される織物、織物文様、紡織製品、紡織具などを対象とする研究であり、考古学、自然科学、織物学などの専門知識が必要である。現存する様々な遺物の中で織物は最も取り扱いにくい材質の一つである。実際、古代織物が発見された例は少なく、発見されたとしても非常に小さい布切れであるため、実証的に研究を行うことは困難であった。しかし、保存処理や分析技術が発達し、織物資料の重要性が再認識されつつある。同研究所では出土した考古学的な織物に対する保存処理および科学的分析により、関連研究者に資料を提供している。

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企画研究名 考古織物研究
区分 遺跡発掘調査
調査年 2006年~2008年
調査資料 原文資料有り

考古学の対象となる出土した織物を保存処理し、科学的な分析により古代織物を研究する。

現存する様々な遺物の中で織物は最も取り扱いにくい材質の一つである。韓国の場合、古代織物が発見された例は少なく、発見されたとしても非常に小さい布切れであるため、実証的に研究を行うことは困難であった。同研究所では発掘機関としてははじめて、出土した考古学的な織物に対する重要性を認識し、考古織物に対する企画研究を計画している。

2006年、済州・高氏家から寄贈を受けた服飾遺物に対する保存処理および科学的な分析に基づき、『考古織物Ⅰ』を発刊した。さらに2007年には扶余・王興寺址から様々な種類の服飾遺物と織物片を含め、公州・武寧王陵、羅州・伏岩里古墳群、瑞山・富長里古墳など百済文化圏の遺跡から出土した約60点の織物について調査を行った。2008年、韓国でははじめて古代織物を集大成した『考古織物Ⅱ』を発刊した。


image 絹織物の拡大
image 扶余陵山里出土の絹、麻織物(7重)
image 扶余王興寺址出土の羅
image 扶余王興寺址出土の羅
image 織物の分析
image 織物の分析

王宮の工房

王宮里遺跡の西北側一帯から出土した工房関連遺物に対する体系的でかつ科学的な分析を行い、考古学と自然科学の共同研究の必要性が提起され、2005年度王宮里遺跡出土の硝子および生産関連遺物に対する第1次考古化学的分析を実施した。第1次分析では金、硝子、坩堝など285点に対する非破壊分析を通じて遺物の全般的な特性調査を行った。その結果、金製品は形態と機能によって金と銀の合金比が異なるなど、多様な金製品の製作技法と関連した資料を確保し、鉛ガラス以外のアルカリ硝子を確認することができた。坩堝の分析により金、硝子、銅の坩堝を区分することによって坩堝の形態的特徴を究明することができた。これに基づき、国立公州大学・文化財保存科学科金圭虎(キム・ギュホ)教授チームと共同で行った第2次考古化学的分析では遺物に対する破壊分析により原料の産地および製品に対する体系的で、かつ総合的な研究を実施し、王宮里遺跡内の西北側における生産関連施設、ひいては王宮里遺跡の性格を究明する上で基礎資料として活用できると考えられている。また、扶余・官北里百済遺跡、益山・弥勒寺址出土の生産関連資料に関する分析も実施し、王宮里遺跡の工房運営に関する比較資料とした。

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企画研究名 王宮の工房
区分 遺跡発掘調査
調査年 2006年~2007年
調査資料 原文資料有り

王宮里遺跡の西北側一帯から2005年から2006年にかけて王宮里遺跡出土の生産関連遺物に対する考古化学的分析を実施した。

第1次調査では金、硝子、坩堝など285点に対する非破壊分析を、第2次調査では鉛硝子片と硝子の坩堝など 32点、弥勒寺址出土の遺物18点の50点に対して鉛同位体比分析を行った。

2回の分析結果は次の通りである。

第一に、坩堝の用途によって物理的・化学的特性が異なり、金製品の種類と形態によって銀の含量が異なることが明らかとなり、金製品の製作過程で金の純度を意図的に調節していたことが確認できた。また、金アマルガムの塊が見つかり、アマルガムを利用した金鍍金を確認したことで、王宮里5重石塔から発見された舎利荘厳具などとの関連性を示すことのできる重要な資料を確保した。

第二に、金蓮珠・瓔珞・輪・玉などの完成品、陽刻の金板・金製釘・金製棒などの金製品を製作するための様々な遺物に対する考古化学的分析により、鋳造や鍛造など様々な製作技法を確認することができた。したがって、王宮里遺跡の工房では王宮に貴重品を納品していた大規模の工房が存在し、金・銅製品の製作技術が高いレベルであったことが分かる。

第三に、百済時代の硝子の特徴と制作方法に対する研究に新しい可能性を切り開いた。益山地域において鉛硝子以外のアルカリ硝子を生産していたことが確認された。また、百済の硝子を対象にwinding・drawingなどの製作方法を具体的に明かしたのははじめての成果である。

第四に、王宮里遺跡と弥勒寺址から出土した鉛硝子の関連資料に関する組成分析と鉛同位体比分析を通じて、鉛硝子の分布領域が従来の韓国、中国、日本の分布領域とは異なる線上に3~4つのグループが分布していたことが明らかになった。

第五に、古代生産関連遺物に対する考古学と自然科学の研究者たちによる共同作業により新しい研究モデルを提示し、遺物に対する体系的で、かつ総合的な研究を実施し、王宮里遺跡内の工房関連施設、ひいては王宮里遺跡の性格を究明するきっかけづくりをしたという意義がある。

今後、中長期推進計画を樹立し、百済文化圏の古代硝子、金属生産技術文化の流れと変遷過程を整理し、古代金属および硝子製品の出土状況および流れをデータベース化する。そして東アジアにおける古代金属および硝子製品の連携研究のための礎を構築する。また、韓国の金属および硝子製品製作と関連した考古化学および伝統技術の資料を提示することを目指す。


image 資料選定の様子
image 携帯用XRF分析の様子
image 分析の様子
image 分析結果の確認
image 硝子片資料採取地点
image 硝子坩堝資料採取地点
image 施釉土器の蓋資料採取の様子
image 資料整理の様子

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